聖書の学び

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Ⅰ列王記14:17~18(2024/03/15)

【14:17~18】
『ヤロブアムの妻は立ち去って、ティルツァに着いた。彼女が家の敷居に来たとき、その子どもは死んだ。人々はその子を葬り、全イスラエルは彼のためにいたみ悲しんだ。』
 こうしてヤロブアムの妻は家にまで帰ります。帰宅中の彼女はどのような精神状態だったでしょうか。最悪に落ち込んでいた可能性が高いでしょう。何故なら、彼女は子どもを死なすため帰宅していたのも同然だったからです。このような容赦のなさに運命の辛さがあります。彼女が帰宅したのは『ティルツァ』という場所でした。預言者アヒヤは『シロ』に住んでいました。ティルツァはこのシロから30kmほど北に離れています。ですから、ヤロブアムの妻はアヒヤの家から北に向かい帰ったのです。そういうことであれば、彼女は北から南下してアヒヤのもとまで行ったのでしょう。そして『彼女が家の敷居に来たとき、その子どもは死んだ』のでした。その時に子が死ぬよう神が定めておられました。ですから、そうなるしかありませんでした。彼女が家の敷居に行くのは、言わば死のスイッチでした。彼女はそのスイッチを自分で押したのです。

 

 ヤロブアムの子が死ぬと、『人々はその子を葬り』ました。先にも見た通り、ヤロブアム家で墓に葬られるのはこの子だけでした。その子は確かに死にました。しかし、死んでから葬られることには御恵みがありました。これはその子が神の御心に適っていたからです。その子は王子であって国中の人々に知られていましたから、『全イスラエルは彼のためにいたみ悲し』みました。この通り、よく知られた有名な人間が長寿を全うせずに死ねば、往々にして人々は非常な悲しみに満たされるものです。その死んだ人間が正しい者であればあるほど、人々の悲しみも大きいものとなります。この子は神の御心に適っていたのですから、人々の悲しみも恐らく実に大きかったと思われます。