聖書の学び

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Ⅰ列王記17:21(2024/05/12)

【17:21】
『そして、彼は三度、その子の上に身を伏せて、主に祈って言った。「私の神、主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返してください。」』
 エリヤは何としても息子が生き返ってほしいと願いました。もし生き返らなければ、女はエリヤを悪く思ったままでいたはずだからです。その場合、エリヤだけでなく、神の栄光も蔑ろにされることとなりかねません。何故なら、エリヤは神の御命令に従って彼女のもとへ来たのだからです。ですから、子が死んだままでいれば、エリヤと神の不名誉となりました。このため、エリヤは子を生き返らせていただくよう神に願おうとします。エリヤが子どもを生き返らすことはできません。しかし、神であれば子どもを生き返らせることができます。エリヤはまず、横たわらせた『子の上に身を伏せ』ます。このようにしたエリヤは、あたかも自分の命を子どもに与えようとしているかのようです。この行為には、子を生き返らせてほしいというエリヤの強い願いが現われています。エリヤはそれを一度だけでなく『三度』も行ないました。これはエリヤが何としても子を神に生き返らせていただきたかったからでした。このようにして後、エリヤは神に子が生き返るよう願い求めます。『三度、その子の上に身を伏せて』から祈ったというのがポイントです。このような行為をしてから祈るのと、このような行為をしないで祈るのは、明らかに違いがあるからです。キリストもゲッセマネの園において、血のような汗を流しながら、3度も父なる神に対し祈られました。このような祈りには、キリストの心における強い思いがまざまざと示されていたのです。