聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記12:22~24(2024/02/07)

【12:22~24】
『すると、神の人シェマヤに次のような神のことばがあった。「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言え。『主はこう仰せられる。上って行ってはならない。あなたがたの兄弟であるイスラエル人と戦ってはならない。おのおの自分の家に帰れ。わたしがこうなるようにしむけたのだから。』」そこで、彼らは主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行った。』
 レハブアムたちがイスラエルを鎮圧しようとしていた際、神が『シェマヤ』に御言葉を与えられました。その御言葉をシェマヤはレハブアムおよび民に告げ知らせました。シェマヤは『神の人』でしたが、これは神から特別に親密な取り扱いを受けている敬虔で信仰的な聖徒のことです。ダビデでさえ聖書では『神の人』と呼ばれていません。神はこのように、ある特定の個人を通して多くの人々に語られます。それが神のやり方なのです。古代ユダヤでは、本当は神の御言葉を受けていないのに、あたかも神の御言葉を受けたかのように語る忌まわしい者もいました。しかし、シェマヤは本当に神の御言葉を受けていました。ここで神はシェマヤが『ユダの王、ソロモンの子レハブアム、ユダとベニヤミンの全家、および、そのほかの民に告げて言』うように命じています。これはつまりイスラエルの全体に言えということです。というのも、この時に起きていた出来事は、全てのイスラエル人に関わる問題だったからです。神はシェマヤを通して、レハブアムに戦うなと命じられます。何故なら、レハブアムとユダ族にとってイスラエルは『兄弟』だからです。兄弟が互いに争い合うならばヤコブの群れは滅茶滅茶となります。神はそうなるのを望まれませんでした。ですから、神はレハブアムたちが『おのおの自分の家に帰』るよう命じます。このような事態となったのは、神が『こうなるようにしむけたのだから』です。神がこうされたのであればレハブアムたちはどうすることもできません。こうしてレハブアムと召集された兵士たちは自分の家に帰りました。レハブアムはまさか自分が王位に就いて後、民からあのような改善の求めをされるとは恐らく思っていなかったかもしれません。またレハブアムは民が反発して自分から離れ去るということも考えていなかったはずです。そして、戦おうとしていたのに戦えなくなるということも想定していなかったでしょう。つまり、レハブアムは王に就任してから想定外続きでした。これは正にソロモンが『何が起こるかを知っている者はいない。』と言っている通りのことです。

 

 この時のイスラエル人は、このような『主のことばに聞き従い、主のことばのとおりに帰って行』きました。彼らはシェマヤに対して反発しませんでした。何故なら、シェマヤは本当に『神のことば』を語ったのだからです。この時のイスラエル人はまだ御言葉に聞き従う態度を持っていました。しかし、これからイスラエル人は神の御言葉にさえ聞き従わないほど堕落してしまいます。そのように堕落したならば最悪となります。神がそのような堕落に対し罰を注がれるので悲惨となるからです。実際、北王国イスラエルも南王国ユダもこれからそのような悲惨を受けることになりました。