聖書の学び

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Ⅰ列王記12:25~27(2024/02/08)

【12:25】
『ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。』
 ヤロブアムはイスラエルの王となってから、エフライムの山地『シェケム』を再建しました。この『シェケム』はもう北王国イスラエルに属する地であり、南王国ユダの支配する場所ではありません。かつてはまだユダ王が支配する範囲内だったのですが。この『シェケム』はエルサレムから40~50kmほど北に離れています。この『シェケム』が再建されたのは、つまりまだそこがあまり開発されていなかったからです。ヤロブアムはこの『シェケム』に住みました。そこからイスラエルを支配したわけです。そして、このシェケムからヤロブアムは『ペヌエル』に移り、そこも『再建』しました。ここも『再建』されたのですから開発があまりされていなかったのです。この『ペヌエル』は、シェケムから40kmほど東に離れており、シェケムとの間にはヨルダン川が縦方向に流れています。

 

【12:26~27】
『ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」』
 ヤロブアムは、イスラエルのことで大きな心配を持ちました。その心配はしっかり根拠のあるものでした。レハブアムは10部族の民が『エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行く』と言っています。これは律法がそうするように命じているからです。その場合、エルサレムに上ったイスラエル人は『彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り』かねません。何故なら、エルサレムの支配権を持つ者こそイスラエル王に相応しいと感じるのは自然なことだからです。民がレハブアムと離反したにもかかわらずエルサレムに行くならば、このことを強く感じるようにもなりましょう。ですから、ヤロブアムがこのような心配を持ったとしても不思議なことはありません。更にヤロブアムはレハブアムのもとに帰ったイスラエル人が自分を殺すだろうと恐れます。民衆から退けられた王が処刑されるのは何も珍しくありません。ヤロブアムもそのことはよく分かっていたでしょう。レハブアムがこういった事柄を心配したのは、心配性だったからというのではなかったはずです。確かにこのままであればレハブアムが予想した通りのことが起きていたかもしれません。何故ならソロモンが言ったように、罪深い者の恐れる出来事はその通りになるものだからです。