聖書の学び

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Ⅰ列王記13:32(2024/02/29)

【13:32】
『あの人が主の命令によって、ベテルにある祭壇と、サマリヤの町々にあるすべての高き所の宮とに向かって呼ばわったことばは、必ず成就するからだ。」』
 ここで預言者が言っている通り、神の人は『主の命令によって』預言をしました。自分自身から預言をしたのではありません。このことから、神の人が正真正銘の神の人であったことが分かります。神の命令によらず自分自身から預言する偽り者もいたのです。この神の人は『ベテルにある祭壇』に対して預言しました。これについては既に見た通りです。『祭壇』とは非生命体であり聞く耳を持っていません。しかし、そのような祭壇に対して預言されたとしても、それは神による預言でした。『サマリヤ』という言葉は聖書で多く書かれていますが、この言葉が書かれるのはここが最初です。これは北王国イスラエルの首都であり、有名な場所でした。そこに住む人々はサマリヤ人と呼ばれます。キリスト時代のサマリヤ人は、自分たちにこそ律法が神から与えられたと考えており、このためユダヤ人とは交わりを持ちませんでした。この『サマリヤの町々』には偶像崇拝を行なう『高き所の宮』がありました。神の人はそこに対しても預言をしました。その高き所が実際にどのぐらいあったかは分かりません。しかし、神の人はその『すべて』に対して預言をしました。預言者は、その預言が『必ず成就する』とここで言っています。何故なら、それは神が神の人を通して語られた預言だからです。神は全てを定めておられ、全てを知っておられますから、神が語られる預言は必ず成就するのです。実際、神が神の人を通して語られた預言はやがて成就することになります。このように神の人の預言が必ず成就するからというので、預言者は神の人のもとに葬られることを望んだのです。この預言者も、神の人と同様、神の預言を告げ知らせる人物の一人でした。ですから、預言者は神の預言がどれだけ重要であるかよく理解していました。預言者がこのように神の人と共に葬られたく願ったのは、預言を大いに重視していたことの現われです。このように願ったのは非常に預言者らしいと言えましょう。