聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記13:33~34(2024/03/01)

【13:33】
『このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることもせず、引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命し、だれでも志願する者を任職して高き所の祭司にした。』
 ヤロブアムは神の人が告げ知らせた預言を聞き、その預言の証拠となる印も見たのですから、自分の振る舞いが悪いことをよく分かっていたはずです。ヤロブアムが偶像崇拝のことで何も良心の咎めを感じていなかったというのは、ありそうもありません。もしそういうことであれば、ヤロブアムは全く腐り切った者だったことになります。しかし、『このことがあって後も、ヤロブアムは悪い道から立ち返ることも』しませんでした。ヤロブアムは悔い改めて偶像崇拝を止めることもできました。その場合、ヤロブアムはキリストにおいて神から憐れみを受けていました。しかし、ヤロブアムはそのようにしませんでした。ですから、聖書はそのことをここで非難しています。ヤロブアムは心を痛めて悔い改めるべきでした。このようにヤロブアムは悔い改めなかったので、自分の欲するままに歩み続けました。これは正にアダムのようです。アダムも神の命令に聞き従わず、自分の思うままにしたのです。こういうわけでヤロブアムは『引き続いて、一般の民の中から高き所の祭司たちを任命』していました。律法が祭司に定めるレビ人でない部族から祭司を任命するというのは、たとえ一人であっても罪深いことです。それなのにヤロブアムは繰り返しレビ人以外の部族から祭司を任命し続けていました。ヤロブアムはその際、『だれでも志願する者を任職して』いました。聖書はこのようにせよと全く命じていません。このようなヤロブアムのおふざけはあまりにも限度を越えた罪悪でした。こうしてヤロブアムの罪悪は聖書で永遠に記録されることとなりました。ヤロブアムはこのような記録により恥辱を受け続けるのです。

 

【13:34】
『このことによって、ヤロブアムの家が罪を犯すことになり、ついには、地の面から根絶やしにされるようになった。』
 ヤロブアムがこのような偶像崇拝の罪を犯したので、『ヤロブアムの家が罪を犯すことになり』ました。ヤロブアムの罪はヤロブアム個人が犯した罪でした。しかし、その罪はヤロブアム王家の罪へと結び付いたのです。それゆえ、これからヤロブアムに連なるイスラエル王たちは偶像崇拝の罪を犯し続けることとなります。ヤロブアムの犯した罪は、ヤロブアムの家に展開したわけです。このようにヤロブアム家が偶像崇拝に陥ったので、『ついには、地の面から根絶やしにされるようにな』りました。つまり、ヤロブアムの王家は断ち切られ、王の流れが続かなくなります。紀元前720年に北王国イスラエルは陥落し、アッシリヤへの捕囚が起こりました。その際にヤロブアムの家系が『根絶やしにされ』たのです。これはヤロブアムから約200年後のことでした。このようにしてヤロブアムが犯した罪に対する神の呪いと御怒りは全うされたのです。

 

 この通り、ヤロブアムの偶像崇拝により北王国イスラエルは裁かれ陥落することとなりました。南王国ユダも、やはり偶像崇拝の罪により神罰を受けることとなりました。ユダヤ人が断ち滅ぼしたカナン人も、偶像崇拝を犯していたので呪いによりユダヤ人から断ち滅ぼされることとなったのです。日本も偶像崇拝の罪を犯していたので、連合国軍を通して悲惨な神罰が下ることとなりました。このことから偶像崇拝をするのは致命的に邪悪な罪であることが分かります。偶像崇拝の罪を犯すことは事実上、神罰を求めることです。ですから、私たちは偶像崇拝の邪悪さと恐ろしさをよく覚えておかねばなりません。それは私たちもヤロブアムやその他の者たちのように偶像崇拝の罪を犯して根絶やしにされないためです。