聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記14:15~16(2024/03/14)

【14:15】
『彼らがアシェラ像を造って主の怒りを引き起こしたからです。』
 ヤロブアムの家に神罰が注がれるのは、『彼らがアシェラ像を造って主の怒りを引き起こしたから』でした。これは十戒の第一番目と第二番目に対する違反であり、極めて重い罪でした。ですから、その罪ゆえイスラエルは神から神罰を受けねばなりませんでした。この『アシェラ』というのは偽りの神々の一人です。イスラエル人は真の神を捨て去り、この偽の神を選び取り、そうして真の神を裏切ったのです。ここに彼らの大きな罪悪がありました。この通り、悪しき実例が聖書で私たちの前に示されています。ですから、私たちはヤロブアムの家と同じにならないよう注意せねばなりません。もし私たちがヤロブアムの家のようになったとすれば、私たちも悲惨な状態へと陥ることでしょう。

 

【14:16】
『ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪のために、主はイスラエルを捨てられるのです。」』
 神が『イスラエルを捨てられるの』は、『ヤロブアムが自分で犯した罪と、彼がイスラエルに犯させた罪』に対する刑罰でした。その『罪』とは偶像崇拝の罪です。偶像崇拝の罪でない罪が原因なのではありません。ただこの偶像崇拝の罪によりイスラエルは神から捨てられるのです。このことから、偶像崇拝の罪がいかに御前で大きい罪なのかよく分かります。確かに神は北王国イスラエルを『捨てられ』ます。しかし、神はイスラエルに次のようにも言っておられました。『わたしはあなたを決して見捨てず、決して見放さない。』確かに神は御自分の聖徒たちを見放すことがありません。しかし、ここでは主が御自分の聖徒である『イスラエルを捨てられる』と言われています。これはどのように解決すればいいでしょうか。これの解決は難しくありません。神が聖徒たちを見放されないと言われたのは、つまり御自分から進んで見放されないということです。北王国イスラエルのように、聖徒が自ら進んで神に背くのであれば話は別となります。その場合であれば、イスラエル人は自分で積極的に神から離れるのですから、自分自身で自分を御前において捨てさせているのです。こうであれば、イスラエル人は自分から勝手に捨てられたのと同じ状態になっているのですから、そのようなイスラエル人を神が『捨てられ』たとしても当然のことなのです。