聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記16:26(2024/04/29)

【16:26】
『彼らのむなしい神々によってイスラエルの神、主の怒りを引き起こした。』
 オムリは、自分自身で『むなしい神々』を拝んでいました。オムリにより罪を犯すこととなったイスラエル全体も、やはりこの『むなしい神々』を拝みました。つまり、この頃のイスラエルは上も下も偶像崇拝が満ちていました。そういった偶像崇拝のため、オムリは『主の怒りを引き起こした』のです。この偶像崇拝は神が最も忌み嫌われる罪の一つです。ですから、オムリの頃のイスラエルは最低最悪の堕落した罪深い状態だったことが分かります。この通り、イスラエルにおいて偶像崇拝はヤロブアムの頃からずっと続いていました。イスラエルは、神の呪いのうちに沈み込んでいたのです。イスラエル人たちがこの呪いから抜け出すことはできませんでした。

 

 ここでは、偽りの神々が『むなしい』とはっきり言われています。何故なら、存在しない神を存在するかのように取り扱い、その空想神に崇拝を捧げたり仕えたりすることは、あまりにも馬鹿げた振る舞いだからです。こんなにも馬鹿馬鹿しいことがあるでしょうか。これは愚かさの極みです。しかも、拝まれるべき真の神を無視して、そのような偶像崇拝が行なわれるのです。こうであれば聖書が偽りの神々を『むなしい』と断罪するのは当然なのです。聖書は、他の箇所でも偽りの神々を容赦なく非難しています。教会も、そのように偽りの神々を非難すべきでしょう。私はもう既に、これまで偽りの神々を断罪してきました。しかし、ここでもう一度、偽りの神々を断罪することにしましょう。それは糞にも等しい焼き捨てられるべき邪悪な汚物でしかない、と。こういった偽りの神々は、これからも消え去り、見られなくなるべきでしょう。虚しい偽りの神々に惑わされている多くの罪深い人々が、キリストにより救われて汚物から解放されるのを望むものです。