聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記4:20(2023/08/01)

【4:20】
『ユダとイスラエルの人口は、海辺の砂のように多くなり、彼らは飲み食いして楽しんでいた。』
 ソロモン時代のイスラエルは『海辺の砂のように多くな』っていました。この『海辺の砂』というのは、その数多さを示すために聖書でよく使われる表現です。つまり、この時代のイスラエルの人口は、数えるのが難しい『海辺の砂』のように沢山だったということです。ですから、この時代のイスラエル人が実際にどれぐらいいたかは分かりません。当時の世界において最も人口が多かった可能性もあります。今の時代で言えば中国やインドのような感じだったかもしれません。イスラエル人がこのように増えていた理由は何でしょうか。それは彼らが『生めよ。ふえよ。地を満たせ。』という神の命令を知っていたからです。彼らはこの命令を実行していたのです。また彼らが増えていた理由は、彼らが神に祝福された民だったからでもあります。イスラエルは神の祝福により増え広がっていたのです。神の祝福がなければ増えることは難しかったでしょう。今の時代のイスラエル人はこのような祝福を失っており、もはや神の子らでさえなくなっています。実際、現代においてイスラエル人と呼ばれている人々の大半はハザール人を先祖とする人々であって、本物のイスラエル人は少ないのです。ロックフェラーもそうですが彼らの外観はハザール国があった地方の白人と類似しており、中東系の有色人種だったイスラエル人の外観とは違うのです。現代のイスラエル国家にいる人々も、その9割はハザール系のイスラエル人なのです。こういうわけでソロモン時代のイスラエル人はもう今の時代に少なくなっています。

 

 この時代のイスラエル人たちは『飲み食いして楽しんでい』ました。これは当時のイスラエルにおける繁栄と平和を示しています。聖書は飲食の楽しみを通して、国家の栄えと安らかさを示しています。何故なら、国家が栄えており平和でなければ、その全体が『飲み食いして楽し』むというのは難しいからです。つまり、これはイスラエル人が怠けていたとか遊んでばかりいたなどという意味ではありません。もしこういう意味でこう言われているとすれば、神は御自分の与えられた幸いを御自分で非難しておられることになるのです。ですから、『彼らは飲み食いして楽しんでいた。』という部分は肯定的に捉えるべきです。当時のイスラエル人が怠惰だったとは聖書で示されていません。これは逆の場合、すなわち繁栄と平和のない国を考えれば、よく分かります。例えば、北朝鮮であれば『彼らは飲み食いして楽しんでいた。』などとは決して言えないでしょう。何故なら、北朝鮮は栄えておらず平和でもありませんから、多くの人々が真に安らぎつつ飲み食いして楽しく過ごすというのは難しいからです。ソロモン時代のイスラエルはこの北朝鮮のようではありませんでした。

 

 この箇所ではイスラエル国家が『ユダとイスラエル』と呼ばれています。『ユダ』とはユダ族だけのことであり、『イスラエル』とはユダ族を除いた全てのイスラエル部族のことです。このようにユダ族だけ特別に区別されているのは、このユダ族からメシアが出られるのだからです。メシアがユダ族であるということを考えれば、このようにユダ族が特別視されているのは何も不思議に感じられません。寧ろ、ユダ族がこのような取り扱いを受けるのは相応しいことなのです。