聖書の学び

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Ⅰ列王記8:27(2023/10/20)

【8:27】
『それにしても、神ははたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして、私の建てたこの宮など、なおさらのことです。』
 ソロモンは『それにしても』と言って、少し話を切り替えています。ソロモンはここで神の無限性について述べています。神は無限なる存在であり、万物を完全に超越しておられます。神はこの宇宙よりも無限倍に大きい存在です。ですから、神からすれば宇宙など無も同然の大きさなのです。このような神の無限性を捉えることは決してできません。このように神は無限なる存在ですから、ソロモンがここで言っている通り、『地』は神を入れることができません。有限が無限をそのまま入れるというのは考えられないのです。私たち人間は鳥の巣や蟻の巣に入ったりそこで住んだりすることが決してできません。その巣は人間にとってあまりにも小さ過ぎるのです。神を『地』が入れられないのは、これ以上のことです。もし地が神を入れられたとすれば、尚のこと私たちは鳥や蟻の巣に入れたことでしょう。またこの神は『天』も入れることができません。ソロモンがここで言っている『天』とは、どういった意味の『天』なのでしょうか。地球の上空における天でしょうか、それともこの宇宙には属さない霊的な世界という天でしょうか。これは後者のほうです。何故なら、ソロモンはこの祈りの中で、神の御住まいについて『あなたのお住まいになる所、天』(Ⅰ列王記8章30節)と言っているからです。これは明らかに霊的な世界における『天』です。それゆえ、私たちが今見ている箇所で言われている『天』も同様の意味に理解すべきです。そのように理解するのが整合的であり自然だからです。更に神は『天の天も』入れることができません。これは霊的な世界における上空部分のことです。地球で言えば空の場所が、この『天の天』になります。天の領域がどれぐらいの大きさなのか私たちは何も知りません。ソロモンがここで神の無限性を示すため、天上の領域について言及しているのですから、もしかしたら天とは驚くほど大きい領域なのかもしれません。しかし、そのような『天の天』であっても、無限なる神を入れることはできないのです。このように神を『地』も『天も、天の天も』入れることができないとすれば、ソロモンの『建てたこの宮など、なおさらのこと』神を入れることはできません。無限なる神が、ソロモンの建てた有限の宮に無限であるまま住むというのは、どう考えてもできないでしょう。もし無限なる神が宮にそのまま住むとすれば、宮も神と同様に無限の大きさでなければいけませんが、ソロモンの建てた宮は有限の大きさでした。しかし、神はこの宮に住まわれました。それは、あたかもそこに限定的・排他的におられるかのごとく強く臨在するという仕方においてでした。こういうわけで、神は全宇宙のどこにでもおられるのですが、あたかもそこにしかおられないかのように「宮におられる」と聖書は言っているのです。