聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記8:65~66(2023/11/23)

【8:65】
『ソロモンは、このとき、彼とともにいた全イスラエル、すなわち、レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの大集団といっしょに、七日と七日、すなわち十四日間、私たちの神、主の前で祭りを行なった。』
 この時には、『レボ・ハマテからエジプト川に至るまでの』『全イスラエル』がやって来ていたので『大集団』となっていました。しかし、『大集団』といってもその実際的な人数がどれぐらいだったかまでは分かりません。この時にイスラエル人は『七日と七日』、宮の場所にいました。最初の『七日』は『祭壇の奉献』(Ⅱ歴代誌7章9節)が行なわれ、次の『七日』は『祭り』(同)が行なわれました。これらがどちらも「7」日だったのは、どちらも聖なる行事だったからです。ここでの「7」は明らかに意味があります。またこの『七日と七日』を合計した『十四日間』における「14」も、明らかに意味があります。これは「14」ですからこの期間が長くなかった、もしくは短く感じられた、という意味でしょう。このようにイスラエル人は『祭りを行なった』のですが、これはこの時が記念すべき喜ばしい時だったからです。この祭りはかなり大規模だったはずです。何故なら、祭りの規模とある出来事の大きさは比例しているのが常だからです。それゆえ、もしこの時における出来事があまり大きくなければ、それに応じ祭りの規模もそこまで大きくはならなかったでしょう。

 

【8:66】
『八日目に、彼は民を去らせた。民は王に祝福のことばを述べ、』
 ソロモンは、『八日目』に民を各々の相続地へと『去らせ』ました。この『八日目』とは祭りの後における『八日目』であって、すなわち奉献式の第一日目から数えれば「15日目」です。ですから、15日目が『八日目』と言われていたとしても、間違っているということはありません。聖書は単にこれが祭りにおける『八日目』であると明瞭に述べていないだけです。ここでは『去らせた』と書かれていますが、これはソロモンが民を強制的に束縛していたというニュアンスではありません。これは単に去らせる時期となったので去らせただけのことです。そのように去る際、イスラエルの『民は王に祝福のことばを述べ』ました。これは王の栄えや長寿、また王に対する神の御恵みなどを願い求める言葉だったのでしょう。この時は宮が完成したのですから、こういった『祝福のことばを述べ』るのが相応しかったのです。