聖書の学び

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Ⅰ列王記9:20~21(2023/12/09)

【9:20~21】
イスラエル人でないエモリ人、ヘテ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の生き残りの民全員、すなわち、イスラエル人が聖絶することのできなかった人々の跡を継いで、この地に生き残った彼らの子孫を、ソロモンは奴隷の苦役に徴用した。今日もそうである。』
 イスラエル人は、カナンの地にいた異邦人たちをどれも容赦なく聖絶すべきでした。それは邪悪なカナン人たちが罰されて滅びるためです。神が彼らカナン人をことごとく聖絶するようイスラエルに命じられました。ところが、イスラエル人はその罪や不敬虔また愚かさや怠慢により、カナンにいた異邦人を全て聖絶することができませんでした。忌まわしいカナン人がことごとく聖絶されなかったことについて、神に責任は全くありません。その責任は全くイスラエル人だけにありました。何故なら、もしイスラエルが熱心な敬虔さでカナン人を聖絶していたとすれば、神の命令通り、カナン人はどれも聖絶されていたはずだからです。このようなわけで、イスラエルの地には『イスラエル人が聖絶することのできなかった人々の』『子孫』がずっといました。その聖絶されなかった異邦人の子孫がどれぐらいだったかは分かりません。少しだけだったかもしれませんし、かなりいた可能性もあります。しかし、本当であればソロモンの時代までに彼らの総数は<0人>となっているべきでした。ソロモンはこの生き残っていた異邦人を『奴隷の苦役に徴用し』ました。ソロモンは彼らを滅ぼさず奴隷にしました。どうしてソロモンは彼らを滅ぼそうとしなかったのでしょうか。それは恐らく彼らがイスラエルと盟約を結んでいたので、もはや聖絶したくてもできなかったからだと考えられます。ソロモンが彼らを奴隷にしたこと自体について言えば、まだこの時代において奴隷制は悪だと見做されていませんでした。アメリカでも少し前まではまだ奴隷制が続いていました。古代において奴隷制はごく普通に見られる一般的な制度でした。ですから、ソロモンは彼らを奴隷にしたことを何も罪悪視していなかったはずです。この箇所で『今日もそうである。』と言われているのは、つまりⅠ列王記が書かれた時代に至るまで、ソロモンが奴隷にした異邦人たちの子孫は奴隷であり続けたということです。奴隷という存在は、リンカーン奴隷解放宣言のような決定的な出来事でも起きない限り、その子孫もだいたい奴隷であり続けたものです。ところで、この『今日もそうである。』という部分から、この巻の書かれた時代を特定できるでしょうか。これはこの巻の書かれた時代を特定する手掛かりになるでしょうが、それについて語ると長くなり過ぎるでしょうから、またいつか別の更に相応しい場所で語ることができればと思います。