聖書の学び

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Ⅰ列王記14:8~9(2024/03/06)

【14:8】
『あなたは、わたしのしもべダビデのようではなかった。ダビデは、わたしの命令を守り、心を尽くしてわたしに従い、ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行なった。』
 ダビデは非常に敬虔な恵まれた聖徒でした。このダビデは神の『命令を守り』歩みました。『命令』とは聖なる律法のことです。しかも、ダビデは『心を尽くして』神に『従い』ました。ダビデの態度に偽りや冷めたところはありませんでした。つまり、ダビデは純粋かつ熱心に従いました。このようなダビデは神の『見る目にかなったことだけを行なった』のです。これはダビデの歩み全体についてです。バテ・シェバ事件における罪などは考慮されていません。ここではこのようなダビデの敬虔について3つが言われています。すなわち、『わたしの命令を守り』が一つ目であり、『心を尽くしてわたしに従い』が二つ目であり、『ただ、わたしの見る目にかなったことだけを行なった』が三つ目です。これは本当にダビデが敬虔に歩んだことを示しています。しかし、ヤロブアムはこの『ダビデのようではなかった』のです。ヤロブアムは神の命令を守らず、心を尽くして神に従うこともせず、神の見る目に適ったこともしませんでした。このようなヤロブアムの不敬虔がここでは非難されているのです。

 

【14:9】
『ところが、あなたはこれまでのだれよりも悪いことをし、行って、自分のためにほかの神々と、鋳物の像を造り、わたしの怒りを引き起こし、わたしをあなたのうしろに捨て去った。』
 不敬虔なヤロブアムは敬虔なダビデと全く逆の歩みをしました。しかも、ヤロブアムは『これまでのだれよりも悪いことをし』ました。つまり、ヤロブアムはこれまでのユダヤ王が誰も行なわなかったような悪を行ないました。ヤロブアムは、サウルやソロモンよりも『悪いことをし』たのです。サウルやソロモンでさえ、かなり悪いことをしたのですが。このヤロブアムが『行って』と言われているのは、自発的に悪を行なったということです。つまり、ヤロブアムは嫌々ながらでなく、自ら積極的に進んで悪を選び取ったのです。このようなヤロブアムは『自分のためにほかの神々』を造りましたが、これは十戒の第一番目に違反しています。ヤロブアムが『ほかの神々』をどれぐらい造ったかは分かりません。ヤロブアムは『鋳物の像を』造ることもしましたが、これは十戒の第二番目に対する違反です。こちらのほうも、実際にどれぐらいの像が造られたかまでは分かりません。このような律法違反により、ヤロブアムは神の『怒りを引き起こし』ました。というのも、『ほかの神々と、鋳物の像』に関する罪は神が最も忌み嫌われる罪の一つだからです。だからこそ、それらの罪は十戒の第一番目と二番目で禁じられているのです。その戒めの順番がその重要性をよく示しています。このようにしてヤロブアムは神を自分の『うしろに捨て去った』のでした。ヤロブアムは意図的に神を捨て去って蔑ろにしました。仕方なしにというわけではなかったのです。ですから、ヤロブアムが神を捨てたのは致命的な罪でした。