聖書の学び

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Ⅰ列王記14:10(2024/03/07)

【14:10】
『だから、見よ、わたしはヤロブアムの家にわざわいをもたらす。ヤロブアムに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまで、イスラエルにおいて断ち滅ぼし、糞を残らず焼き去るように、ヤロブアムの家のあとを除き去る。』
 神は、これから『ヤロブアムの家にわざわいをもたらす』ことにされました。災いはヤロブアム王家の全体に注がれます。何故なら、ヤロブアムの罪により、ヤロブアムだけでなく、ヤロブアムに続く王家も罪を犯すこととなったからです。もしヤロブアムが偶像崇拝の罪を犯していなければ、こういった『わざわい』もヤロブアム王家に注がれることはなかったでしょう。その災いを『見よ』とここで言われているのは、表現を強調しているのです。この『見よ』とは、「言われたことをしっかり心に留めよ」という意味に捉えてもいいでしょう。神はその災いにおいて、『ヤロブアムに属する小わっぱから奴隷や自由の者に至るまで、イスラエルにおいて断ち滅ぼし』てしまわれます。『小わっぱ』とはヤロブアム王家における小さい子どもたちのことでしょう。『奴隷』は説明不要の存在ですが、その時代のヤロブアム王家に奴隷がどれぐらいいたかは分かりません。『自由の者』とは市民権を持つ一般的な者たちでしょう。つまり、ここではヤロブアム王家に属する全ての者が示されています。彼らが『イスラエルにおいて』断たれるのです。すなわち、それは「南王国ユダ」においてではありません。南王国ユダのほうは、北王国イスラエルが断ち滅ぼされてからも、しばらく存続しました。神はこの災いを注がれる際、『糞を残らず焼き去るように、ヤロブアムの家のあとを除き去る』ようにされます。つまり、ヤロブアム王家は全く消し去られるということです。神はここで糞の除去に、ヤロブアム王家に対する神罰をなぞらえておられます。このことから、神がどれだけヤロブアム王家を嫌われたかよく分かるというものです。私たちは汚い糞がどこかにあれば、それを見るのも嫌でしょうし、吐き気さえ感じることでしょう。ヤロブアム王家に対する神の態度も、このようだったのです。この災いは紀元前720年において実現しました。それは神がアッシリヤを用いられてのことでした。そうしてヤロブアム王家に対する神の御怒りは全うされたのです。

 

 この通り、偶像崇拝の罪に対しては恐るべき神罰が注がれることとなります。偶像崇拝の罪が小さな罪だと思ってはなりません。それは最大級に邪悪な罪なのです。それが最大級に邪悪だからこそ、偶像崇拝の罪には大きな神罰が下されるわけです。もしそれが小さな罪であれば、ここまで大きな神罰は注がれていなかったはずです。日本も今に至るまで偶像崇拝の罪を犯し続けていますが、日本人はそれをそもそも罪だとさえ感じていません。日本が第二次大戦で悲惨な敗北を喫したのは、間違いなくこの偶像崇拝が原因です。すなわち、日本の偶像崇拝に対し神が神罰を注がれたのです。それなのに日本は今でも全く飽きず偶像崇拝の罪を犯し続けています。もしこのまま日本が偶像崇拝の罪を止めて悔い改めなければ、今度は中国かロシアから侵攻されて悲惨な状態になる可能性も十分あるでしょう。