聖書の学び

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Ⅰ列王記14:15(2024/03/13)

【14:15】
『主は、イスラエルを打って、水に揺らぐ葦のようにし、彼らの先祖たちに与えられたこの良い地からイスラエルを引き抜き、ユーフラテス川の向こうに散らされるでしょう。』
 神が『イスラエルを打』たれるのは、このアッシリヤ王を通してのことです。つまり、アッシリヤ王は神が下す死刑を行なう死刑の代行者です。神は、このように人間をしばしば神罰の代行者として動かされます。その代行者が自分は神に仕えていると思わない場合もあるでしょう。しかし、そのように思っても、その人間は神の御心を行なうよう動かされているのです。このアッシリヤ王を通して、北王国イスラエルは『水に揺らぐ葦のように』されます。つまり、水の上にある葦のように全く翻弄されるだけとなります。水はその上に浮かぶ葦を全く支配しています。葦が水を少しでも動かすことは全くできません。そのように、ここでは『水』がアッシリヤに、『葦』が北王国イスラエルに例えられています。こうしてイスラエルは『先祖たちに与えられたこの良い地から』神により『引き抜』かれます。つまり、イスラエル人はイスラエルの地にいられなくなります。ここで『引き抜き』と言われているのは、イスラエルを植物に例えています。神はイスラエル人を神に仕える民としてその地に植えられました。ですから、イスラエル人が神に背いた以上、もうそこに住み続けることはできないのです。そして、イスラエル人は『ユーフラテス川の向こうに散らされる』こととなります。つまり、離散の刑罰をイスラエル人は受けます。律法は、罪を犯すならばこのようになると宣告しています。このようにして散らされたイスラエルの部族が東に向かい、日本人の先祖になったというのが、日ユ同祖論です。確かに、イスラエルが散らされた時期と、日本が建国された時期は、時間的に全く矛盾がありません。しかし、ここでこの考えを取り扱うのは横道に逸れますから、このぐらいにしておくべきでしょう。このように北王国イスラエルが散らされてからも、南王国ユダのほうはしばらく存続し続けます。しかし、ユダのほうも、偶像崇拝に陥っていたので、やがてイスラエルと同じ刑罰を受けることになります。偶像崇拝という大きな罪を犯す者は、この通り大きな悲惨を受けることとなるのです。