聖書の学び

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Ⅰ列王記16:17~19(2024/04/25)

【16:17~18】
『オムリは全イスラエルとともにギベトンから上って来て、ティルツァを包囲した。ジムリは町が攻め取られるのを見ると、王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死んだ。』
 イスラエル人から王に立てられたオムリは、ジムリがイスラエルにおいて拒絶されたのですから、ジムリのいる『ティルツァを包囲し』ました。ティルツァはギベトンから60kmほど北東に離れています。これはかなりの距離です。オムリは最初からジムリを亡き者にすべく上ったはずです。単に捕えて王位を剥奪するだけという目的では無かったと思われます。こうして『ジムリは町が攻め取られるのを見ると』、もはや勝ち目はあり得ないと悟ったはずです。このため、ジムリは『王宮の高殿にはいり、みずから王宮に火を放って死』にました。サルダナパロスをはじめ、このような死に方をした王はこれまで珍しくありませんでした。たったの七日間だけしか王権を持てなかったとは何と虚しいことでしょうか。このようであれば、王権を持たないもののずっと生き続けていたほうが、ジムリにとってどれだけ良かったことでしょうか。

 

 この箇所から分かる通り、ティルツァにイスラエル王国の『王宮』がありました。ユダのほうは王宮がエルサレムにありました。以前のイスラエル王がこのティルツァで王になったのは、そこに王宮があったからでしょう。また以前のイスラエル王がここで葬られたのも、同様の理由からだったはずです。何故なら、通常の場合、王が王宮のある場所で葬られるのは最も相応しいことだからです。

 

【16:19】
『これは、彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない、ヤロブアムの道に歩んだその罪のためであり、イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためであった。』
 ジムリがこのようにして死んだのは、『彼が罪を犯して主の目の前に悪を行ない』続けたからです。そうしてジムリは『ヤロブアムの道に歩んだ』のです。非常に罪深い歩みをしたという点で、このジムリはヤロブアムと全く変わりませんでした。ジムリが悲惨な死に方をしたのは、『イスラエルに罪を犯させた彼の罪のためで』もありました。何故なら、民を正しく歩ませるべき王が、民を悪く歩むようにさせるのは、とんでもないことだからです。このようなことをする王は、呪われて悲惨な死に方に陥っても自業自得なのです。このように2つの理由から、ジムリは罰されたとしても弁解の余地が全くありませんでした。これまでのイスラエル王も、やはり同様の理由から神罰を受けましたが、弁解の余地は全くありませんでした。