聖書の学び

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Ⅰ列王記18:32~35(2024/06/02)

【18:32~35】
『その祭壇の回りに、二セアの種を入れるほどのみぞを掘った。ついで彼は、たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ、「四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。」と命じた。ついで「それを二度せよ。」と言ったので、彼らは二度そうした。そのうえに、彼は、「三度せよ。」と言ったので、彼らは三度そうした。水は祭壇の回りに流れ出した。彼はみぞにも水を満たした。』
 エリヤが準備を整えています。まずエリヤは、祭壇の回りに溝を掘りました。それは『二セアの種を入れるほどのみぞ』でしたが、一セアは7.6リットルですから、15.2リットルになります。この溝が彫られたのは、そこに水が注がれるためです。それからエリヤは『たきぎを並べ、一頭の雄牛を切り裂き、それをたきぎの上に載せ』ましたが、これは神に火を付けていただくためです。この並べられた『たきぎ』がどれぐらいの量だったかは書かれていません。エリヤが『切り裂』いた『一頭の雄牛』は、バアル崇拝者たちが選ばなかったほうの残りです。この雄牛は当然ながらキリストを指し示しています。そしてエリヤは『四つのかめに水を満たし、この全焼のいけにえと、このたきぎの上に注げ。』とバアル崇拝者たちに命じます。すると、『水は祭壇の回りに流れ出し』、『みぞにも水』が満たされました。エリヤはこの注ぎをバアル崇拝者たちに行なわせました。それは本来であればイスラエル人が行なうべきだったことを、行なわずにいたからです。このように水が注がれたのは、清めのためです。律法では水が清めのために指定されているからです。『四つのかめ』に水が満たされたのも意味があります。これは全体を示す「4」ですから、つまり祭壇が全体的に水で清められることを意味します。意味なく「四つのかめ」に水を満たせと命じられたのではありません。エリヤは「4」が示す意味を知っていたはずなのです。

 

 この時にエリヤは、まず注ぎを『二度せよ。』と言ってから、また『三度せよ。』とも言いました。エリヤはどうしてこのように言ったのでしょうか。これは清めを強調するためだったはずです。これを2たす3=「5回」として考えるべきではありません。これは「2回」と「3回」としてのみ考えるべきです。つまり、エリヤはまず2回の注ぎにより注ぎを強調し、更に3回の注ぎをすることでまた注ぎが強調されるようにしたのです。これにより祭壇は完全に清められたことが示されるわけです。