聖書の学び

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Ⅰ列王記18:39~40(2024/06/06)

【18:39】
『民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。』
 神が注がれた火により、エリヤの仕えていた神こそが真の神であると明らかになりました。この状況にあって、まだヤハウェを神と認めない者がいたとすれば、そのような者はギネス級の馬鹿者だったと言えましょう。何故なら、それは太陽を見ながら太陽について認めないようなものだからです。しかし、この時にこのような愚か者はいなかったはずです。このため、イスラエル人は『みな、これを見て、ひれ伏し』ました。これまでイスラエル人はずっとバアルに対してひれ伏し続けていました。しかし、ヤハウェに対してこうすることこと彼らが本来的にすべきことでした。もし主からの火を見ながらこうしなかったとすれば、イスラエル人はどうなっていたでしょうか。こうしてイスラエル人は『主こそ神です。主こそ神です。』と言います。彼らが2回このように言ったのは、神に対する恐れのためでした。人はあまりの恐れに揺るがされると、懇願や告白などを繰り返すものだからです。例えば、非常な危機に陥った人であれば「どうか助けて下さい。助けて下さい。」などと繰り返すものです。

 

【18:40】
『そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。」彼らがバアルの預言者たちを捕えると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。』
 決定的な出来事が起きたので、この場においてエリヤは圧倒的な勝利者として君臨していました。この時には誰もエリヤに逆らえる者などいなかったはずです。こうしてバアルの預言者たちは絶望的な状況に陥りました。ここでエリヤは『バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。』と命じ、『キション川』で彼らを全て殺しました。殺されたのはバアルの預言者たちです。一般のイスラエル人たちは殺されることがありませんでした。一般人はバアルの預言者から教え導かれる従属的な存在に過ぎませんでしたから、預言者たちに比べれば責任が軽かったのです。しかし、バアルの預言者たちは指導また教示しますから、その責任は極めて重かったのです。バアルの預言者たちが『キション川』で殺されたのは何故なのでしょうか。これはカルメル山で血を流すのがあまり相応しくなかったからなのでしょう。というのも、カルメル山には主の祭壇があったからです。

 

 このようにエリヤがバアルの預言者たちを殺したのは、つまり死刑でした。この死刑は神の御前で全く合法でした。何故なら、律法ではイスラエル人を偽りの神々に誘う者たちが死刑に定められているからです。バアルの預言者たちにおける罪は極めて重く、弁解の余地がありませんでした。ですから、彼らが死刑に処せられたのは当然のことでした。