聖書の学び

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Ⅰ列王記18:36(2024/06/04)

【18:36】
『「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。』
 エリヤはまず神の御名を呼び求めます。何故なら、エリヤが火を求める対象は他でもない神だからです。ここでエリヤは『アブラハム、イサク、イスラエルの神』と言い、はっきりどの神であるか明らかにしています。エリヤがこう言ったのは、つまり他の神を呼び求めているのではないということです。エリヤはここで自分の神と偽りの神々を区別しています。当然ながらバアルやアシェラといった糞どももそうです。この『アブラハム、イサク、イスラエルの神』こそが唯一真の神であられます。それ以外の神はどれも全て偽りの存在に過ぎません。またエリヤはここでヤコブを『イスラエル』と言っています。これはエリヤがここでイスラエル人を民族として強く意識しているからです。この箇所で『主』と訳されているのは原文で『ヤハウェ』ですから、エリヤが実際に言ったのは『主よ』でなく『ヤハウェよ』です。これは原文が勝手に変更されてしまっています。カルヴァンは御名を原文のまま訳しましたが、そうしたほうが正しいでしょう。

 

『あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのみことばによって私がこれらのすべての事を行なったということが、きょう、明らかになりますように。』
 エリヤはここで神から火を求める理由として3つの事柄を挙げています。意味なく火を神から求めたわけではないのです。まずエリヤは神が『イスラエルにおいて神であ』ることを『明らかに』して下さるよう求めています。何故なら、バアルは火を注げませんでしたが、神であれば注いで下さるからです。実際に火を注げるのが真の神であることは言うまでもありません。次にエリヤは自分が神の『しもべ』であることを『明らかに』して下さるよう求めています。神がその求めに応じて火を注いで下さるのであれば、そのように求める者が神の『しもべ』であることは明らかです。何故なら、『しもべ』でもない者が、どうして神から火の求めを聞き入れてもらえるでしょうか。そしてエリヤは神の『みことばによって私がこれらのすべての事を行なったということ』も『明らかに』して下さるよう求めています。もしエリヤが神の御言葉により火を求めるのでなければ、火は注がれなかったかもしれません。何故なら、神は御自分の御言葉において大いなることを成し遂げて下さるからです。エリヤはこのような事柄を『きょう』に明らかとして下さるよう願っています。明日とかそれ以降であれば少し遅いのです。もし『きょう』でなければ、エリヤの求めにより火が注がれるまでの間、バアル崇拝者たちには侮りの心が生じることにもなりかねません。ですから、『きょう』に願いが聞かれることこそ相応しかったのです。何にでも適切な時というものがあります。ソロモンが伝道者の書で『すべての営みには時がある。』と言っている通りです。このようなことを神に求めたエリヤは、真に命懸けだったはずです。後の箇所から分かる通り、この戦いでは命がかかっていたからです。このため戦いに負けたバアルの預言者たちは殺されてしまったわけです。しかし、この時のエリヤは神信仰において必ず勝利できる確信を持っていたことでしょう。