聖書の学び

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Ⅰ列王記19:18(2024/07/01)

【19:18】
『しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。」』
 エリヤは、前に自分だけがイスラエルの中で残されたと嘆きました。エリヤを中心の視点とする限りでは、確かにエリヤは自分だけしか残っていないと思えたのです。しかし、エリヤはイスラエルの全体を見ることができていませんでした。実はイスラエルの全体では『七千人』もの正しい者が残されていたのです。その『七千人』は『バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者』でした。それ以外のイスラエル人たちは、バアルに膝をかがめ、バアル像に口づけしていました。これは紛れもない偶像崇拝の罪です。これほどの忌まわしい振る舞いがイスラエルに見られたというのは、何という悲惨さだったでしょうか。ここで言われている『七千人』とは、実際の数でしょう。つまり、この「7000」が単なる象徴数に過ぎないというのではありません。しかし、これは実際数であると同時に象徴性をも含んでいるはずです。何故なら、この数字は「70かける100」に分解できるからです。この分解から分かるのは、この『七千人』が霊的に恵まれた多くの強者だったということです。「70」は、ユダヤの議会が70の議席から成り立っていたことからも分かる通り、有力性を意味します。「100」は完全数10の二乗ですから、量か質またはその両方が完全また十分だったことを意味します。ですから、残された「7000人」は神の御前で霊的な有力者だったことが分かります。

 

 このように、いつの時代であっても、必ず正しい者が多かれ少なかれ残されているものです。エリヤの時代におけるイスラエルは極めて大きな堕落で満ちていました。このように悲惨な状態であったのにもかかわらず、そこには『七千人』もの正しい者が残されていたのです。エリヤ時代のイスラエルでさえこうだったのならば、尚のこと他の時代では正しい者が残されているはずでしょう。