聖書の学び

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Ⅰ列王記16:21~23(2024/04/27)

【16:21】
『当時、イスラエルの民は二派に分裂していた。民の半分はギテナの子ティブニに従って彼を王にしようとし、あとの半分はオムリに従った。』
 オムリ時代のイスラエルは、国内で分裂が生じており、オムリ派とティブニ派という『二派』がありました。北朝鮮南朝鮮のように外部で分裂しているのではありません。内部において分裂が生じていました。今のアメリカで言えば、国民がバイデン支持派とトランプ支持派に分かれているようなものでしょう。イスラエルが『二派に分裂していた』のは、国における罪がその原因でした。つまり、神から与えられた呪いのため、国内では分裂が生じていたのです。この時のイスラエル人は、神との正しい関係を偶像崇拝により自ら引き裂いていました。ですから、神もそのようなイスラエルが内部で引き裂かれるようにされたのです。引き裂くことを好む者に対する報酬は引き裂かれることなのです。ダビデ時代のイスラエルでは偶像崇拝が行なわれていませんでした。つまり、呪われる原因を持たないため、その時のイスラエルで分裂は生じていなかったのです。その頃はダビデ派しかいない状態がありました。この『ティブニ』について、ここでは詳しく書かれていません。これは彼があまり重要な存在ではないからなのでしょう。

 

【16:22~23】
『オムリに従った民は、ギテナの子ティブニに従った民より強かったので、ティブニが死ぬとオムリが王となった。ユダの王アサの第三十一年に、オムリはイスラエルの王となり、十二年間、王であった。』
 オムリ派はティブニ派より強い人々でしたから、『ティブニが死ぬとオムリが王とな』りました。これはオムリがイスラエル王になることこそ神の御心だったからです。ティブニではありません。ティブニはイスラエルの正式な支配者として選ばれていませんでした。オムリがイスラエル王となったのは、『ユダの王アサの第三十一年』でした。しかし先の箇所からは、『ユダの王アサの第二十七年』に王とされたことが分かります。この4年の違いは、ティブニが生存していた期間によります。つまり、オムリが本当の意味で正式なイスラエル王となったのは、ティブニが死んでからのことでした。この「31」(年)という数字に象徴性は何もありません。しかし、オムリが「12」『年間、王であった』のは、象徴性があるかもしれません。何故なら、オムリには対抗相手としてティブニが存在していたからです。神はこのティブニでなくオムリをこそイスラエル王として選んでおられました。ですから、『十二年間』の王権が与えられたのは、オムリが選ばれていたことを示しているのかもしれないのです。