聖書の学び

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Ⅰ列王記14:19(2024/03/17)

【14:19】
『ヤロブアムのその他の業績、彼がいかに戦い、いかに治めたかは、イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされている。』
 ここではヤロブアムについて3つの事柄が言われています。まず『ヤロブアムのその他の業績』とは、聖書で記録されていないヤロブアムの業績です。その業績がどれぐらいあり、またどのような内容だったかは分かりません。その業績には良い内容も悪い内容もあったと思われます。しかし、良い内容と悪い内容の比率がどのようであったかは不明です。次に『彼がいかに戦い』とは、ヤロブアムが指揮した戦争の記録です。ヤロブアムは王でしたから、他の多くの国でもそうだったように、軍の最高指揮官でした。有名なあのアレクサンドロスも王であり軍の最高指揮官でした。古代において、王の指揮した戦争は文書で記録されるのがしばしばでした。何故なら、王の行なった戦争とは非常に注目すべき大きな事柄だからです。そして『いかに治めたかは』とは、ヤロブアムの王権行使による国家運営のことです。ヤロブアムが王としてどのような支配をしたかはよく分かりません。かなりいい加減な統治をしていた可能性もあります。しかし、意外と善政であった可能性もあります。これら3つの事柄は『イスラエルの王たちの年代記の書にまさしくしるされてい』ました。つまり、Ⅰ列王記の記者は、それらの事柄をよく知りたければその文書を参照するようにと指示しているのです。もしこれら3つの事柄がここで全て記録されたとすれば、ヤロブアムに関する記録だけで恐らく5~10ページぐらいの量となっていたかもしれません。これでは明らかに聖書のバランスがおかしくなりますから、神はこれら3つの事柄を聖書でなく『イスラエルの王たちの年代記の書』に書かせられたのです。しかし、この『年代記の書』はもう既に失われています。神がその文書を消し去られたのです。何故なら、その文書は聖徒たちが見る必要のないものだからです。もし見る必要があったとすれば、神はその文書を今でも聖徒たちが見れるように残しておかれたことでしょう。ですから、私たちは聖書で書かれているヤロブアムの記録を知るだけで十分とすべきです。