聖書の学び

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Ⅰ列王記14:22~23(2024/03/20)

【14:22~23】
『ユダの人々は主の目の前に悪を行ない、彼らの先祖たちよりひどい罪を犯して主を怒らせた。彼らもまた、すべての高い丘の上や青木の下に、高き所や、石の柱や、アシェラ像を立てた。』
 南王国ユダに住む『ユダの人々』も、神の御前で悪を行ないました。つまり、聖なる律法が命じている通りのことをしませんでした。その悪として、ここでは偶像崇拝が示されています。彼らユダ族の人々が立てた『高き所』とは、偶像崇拝をするための場所です。『石の柱』とは、偶像を祀ったり記念したりする宗教的な石柱のことでしょう。『アシェラ像』は異邦人が拝んでいた偽りの神々の一人です。彼らはこれらを『すべての高い丘の上や青木の下に』立てました。『高い丘の上』に立てたのは、偶像崇拝の場所や祭壇や像に天上性を付与させるためです。『青木の下』に立てたのは、異邦人たちがしている偶像崇拝のやり方を真似たのです。ここで『彼らもまた』と言われているのは、つまり「南王国ユダの人々も北王国イスラエルの人々と同じように」という意味です。ユダ族の人々が行なったこのような偶像崇拝は、『彼らの先祖たちよりひどい罪』でした。ユダヤ人は荒野時代から偶像崇拝に陥っていました。しかし、ユダ族が行なった偶像崇拝の邪悪さは、これまでのユダヤ人が行なったどの偶像崇拝よりも、かなり酷い邪悪さを持っていたのです。このようにユダ族の人々は、偶像崇拝の罪に陥っていました。これは彼らの王であるレハブアムがアモン人を母として持っていたことも作用したはずです。レハブアムが偶像崇拝者であるアモン人を母として持っていたならば、レハブアムはそれだけ偶像崇拝に近い者となります。つまりレハブアムは偶像崇拝にあまり抵抗を持たなかったでしょうし、実際にレハブアムは偶像崇拝者となりました。母に倣うのは自然なことだからです。そのようにして王が偶像崇拝をするならば、一般の人々も偶像崇拝に抵抗を持たなくなるのです。

 

 このような邪悪さのため、ユダ族の人々は『主を怒らせ』ました。聖く正しく歩むようにと神から贖い出された者たちが、その神を裏切り極度の堕落に陥ったからです。偶像崇拝とは普通の罪と異なり、非常に邪悪性の強い罪です。日本のことを考えれば分かる通り、それは核兵器の投下にも値するほどに酷い極悪なのです。ですから、そのような極悪を行なったユダ族の人々に対し、神はかなり激しく怒られたことでしょう。私たちは、このような偶像崇拝に陥らないよう注意せねばなりません。もし偶像崇拝に陥れば、私たちは神の怒りを燃え上がらせるでしょう。ここで偶像崇拝をしたユダ人という悪しき前例が私たちの前に示されました。ですから、私たちは彼らを教訓とすべきです。神は私たちが彼らのようになるのを決して望んでおられません。