聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記19:3(2024/06/13)

【19:3】
『彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去った。』
 イゼベルがエリヤを殺すと宣告したのは、間違いなく本気だったはずです。イゼベルにはエリヤを殺したいと願う大きな理由があったからです。イゼベルは、もしエリヤが自分の近くにいれば、即座にでも殺したいと思ったことでしょう。こういうわけで、エリヤは『恐れて立ち、自分のいのちを救うため立ち去』りました。立ち去らない限り、自分の命を救うことは難しいと思えたからです。エリヤが助かるためには、そこから逃げ去らねばなりませんでした。この時のエリヤは恐らく非常に急いだことでしょう。もたもたすればイゼベルに捕まり殺されかねないからです。この時にエリヤが抱いた恐れは、非常に大きいものだったはずです。何故なら、イゼベルにはエリヤを殺したいと思う彼女からすれば正当なファクターがあったからです。エリヤも、イゼベルが自分のことで極めて大きな不快感を抱くことぐらい、よく分かっていたはずです。しかし、エリヤはこの時に『恐れて』よかったのかという疑問があります。というのも、聖書は神を恐れるべきであって人を恐れるなと述べているからです。確かに聖書は神をこそ恐れよと教えていますが、ここでエリヤがイゼベルを恐れた件について聖書は何も詳しく取り扱っていません。

 

『ユダのベエル・シェバに来たとき、』
 エリヤはイズレエルから『ユダのベエル・シェバに』まで行きました。この『ベエル・シェバ』はイズレエルから南にかなり遠く離れていますから、エリヤは南に向かいかなりの移動をしたことが分かります。その距離は決して短いと言えません。エリヤがこれほどの距離を逃げたのは、イゼベルに対する恐れがどれだけ大きかったかよく示しています。エリヤはここまで長い距離を移動しなければ、イゼベルの手を逃れることは難しいと思ったのでしょう。確かにかなりの距離を移動して逃げない限り、遅かれ早かれイゼベルに捕まり、エリヤは殺されていたかもしれません。ですから、エリヤが南に向かいここまで長く移動したのは正解でした。神はこのようにしてエリヤをイゼベルの罪深い手から守って下さいました。