聖書の学び

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Ⅰ列王記19:1~2(2024/06/12)

【19:1】
『アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。』
 アハブはイズレエルに行ってから、エリヤのことを全て妻であるイゼベルに告げました。アハブはエリヤのことをイゼベルに知らせないでいることもできたはずです。もしアハブが本当に神を恐れていたとすれば、エリヤのことを隠したままでいたかもしれません。何故なら、イゼベルにエリヤとその行なった事柄を告げるのは、エリヤにとって危険となるからです。イゼベルは神を嫌っていましたが、その神に仕えていたのがこのエリヤだったからです。しかし、アハブはエリヤのことをイゼベルに告げました。たとえアハブがエリヤのことを隠したとしても、やがてはイゼベルに知られていたかもしれません。ですから、「どうせやがて知られるならば。」という思いでアハブがイゼベルに告げた可能性もあります。いずれにせよ、エリヤの事柄がイゼベルに告げられたのは最悪でした。そもそもアハブがこのような偶像崇拝者を娶ったことからして駄目だったのです。ここで『エリヤがしたすべての事』と言われているのは、エリヤとバアルの預言者たちにおける戦いのことでしょう。『預言者たちを剣で皆殺しにしたこと』とは、その戦いに続いて起きた大量処刑の出来事です。アハブが『残らず』告げたと言われているのは、つまり<アハブに思い出せる限りのことを全て>という意味です。

 

【19:2】
『すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」』
 アハブから報告を受けたイゼベルは、エリヤのことで悪く思いました。それはイゼベルからすれば当然のことでした。何故なら、エリヤはイゼベルが拝んでいたバアルの預言者たちを皆殺しにしたからです。もしこうされてもイゼベルがエリヤのことを悪く思わなかったとすれば、イゼベルはそもそもバアルを心から拝んでいなかったことになります。ですから、イゼベルはエリヤという存在に耐えられなかったはずです。このためでしょう、イゼベルはこのエリヤを『あすの今ごろまでに』必ず殺すと宣告します。『あすの今ごろ』とはつまりすぐにもということですが、このことからイゼベルがエリヤをどれだけ嫌っていたかよく分かります。イゼベルがエリヤに激しい怒りを燃やしていたのは間違いありません。しかも、イゼベルは自分が崇めていた『神々』において、このことを誓いました。『神々がこの私を幾重にも罰せられるように。』とは、つまり神々を証人として呼び出した誓いです。イゼベルはもしエリヤを殺せなければ、神々から命を取られても構わないとさえ思っていたことでしょう。単なる表面的な脅迫としてイゼベルがこのように言ったのではないはずです。しかし、たとえイゼベルがエリヤを殺せなくても、イゼベルは『神々』から『幾重にも罰せられ』たりしませんでした。何故なら、イゼベルが拝んでいた『神々』とは実際的に存在しない存在だからです。もしイゼベルがエリヤを殺していたならば、寧ろイゼベルのほうこそ真の神から幾重にも罰せられていたでしょう。何故なら、神の人であるエリヤを殺すというのは、とんでもなく忌まわしいことだからです。