聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記18:42~43(2024/06/09)

【18:42】
『地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。』
 カルメル山の頂上に登ったエリヤは、『地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめ』ました。エリヤはどうしてこのようにしたのでしょうか。意味なくこのようにしたことはないはずです。エリヤはバアルの預言者たちを多く殺しましたが、身体的にかなり疲れていたのでしょうか。つまり、エリヤはここで休んだのでしょうか。エリヤに身体的な疲れはあったでしょうが、これは精神的また霊的な疲れによると思われます。エリヤ時代のイスラエル人はバアルばかり拝んでおり、エリヤはバアルの預言者たちを全て殺さねばなりませんでした。もしこうしなくてよければ、エリヤはどれだけ楽だったでしょうか。すなわち、イスラエル人がそもそもバアル崇拝に陥っていないか、陥っていても処刑をせずに済んだのであれば、エリヤは精神的また霊的にそれほど疲れなかったかもしれません。しかし、この2つがどちらもありました。ですから、エリヤは精神的・霊的な苦しみにより、膝の間に顔をうずめたのだと思われます。この時にエリヤは祈っていたと考える人もいるかもしれません。なるほど、確かにエリヤがこのような姿勢で祈っていたというのはありそうなことです。しかし、聖書はここでエリヤが祈っていたなどと示していません。ですから、エリヤがこのようにして祈っていたとは、あくまでも可能性としか言えません。

 

【18:43】
『それから、彼は若い者に言った。』
 この時のエリヤには『若い者』がいました。この『若い者』の名前や性格などといった詳細はここで何も示されていません。この者は、エリヤを助ける補佐的な存在だったと考えれば間違っていないでしょう。神の僕には、しばしばこのような協力者が備えられるものです。モーセにはアロンがいましたし、ヨナタンにも道具持ちの若者がいました。これはその協力者により、神の僕がより良く神の御前で歩めるためなのでしょう。

 

『「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」』
 若い者に、エリヤは『海のほうを』確かめさせます。『海』とはカルメル山の西にある地中海です。カルメル山は地中海のすぐ近くに位置する山です。エリヤがこのように海のほうを確かめさせたのは、雨を降らせる雲が海のほうで見えるかどうか知るためでした。その確認をエリヤは自分でなく若い者に行なわせました。何故なら、エリヤにとって若い者はこういったことをさせるための存在だったからです。