聖書の学び

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Ⅰ列王記15:11~12(2024/04/04)

【15:11】
『アサは父ダビデのように、主の目にかなうことを行なった。』
 アサは、祖父レハブアムや父アビヤムと異なり、『主の目にかなうことを行な』いました。つまり、アサは主の律法に従って歩んでいました。これは主に喜ばれることでした。彼がそうしたのは、彼に神の御恵みと憐れみが注がれていたことを意味します。何故なら、御恵みと憐れみがなくては、誰も敬虔に歩むことなどできないからです。そられが注がれなければ人は堕落する以外にありません。レハブアムやアビヤムは正にその通りでした。ここではダビデがアサの『父』であると書かれています。アサの直接的な父はダビデでなくアビヤムです。よって、ここでダビデが『父』と書かれているのは、単に先祖という意味での父です。もし本当にダビデがアサの直接的な父だったとすれば、何が何だか分からなくなってしまうでしょう。

 

【15:12】
『彼は神殿男娼を国から追放し、』
 先に見た通り、ユダ王国には『神殿男娼』が存在していました。これは律法が明白に禁じている存在です。神はこのような犬どもを忌み嫌われます。ですから、アサはこのようなふざけた愚物どもを『国から追放し』ました。しかし、『追放し』たと言っても、どのようにして追放したかまでは分かりません。追放するには3種類の方法があるからです。すなわち、死刑にするか、国外追放するか、職務を失わせるか、の3つです。律法では貫通罪が死刑に定められていますから、アサが死刑にすることで彼らを追放した可能性もあります。

 

『先祖たちが造った偶像をことごとく取り除いた。』
 既に確認した通り、アサの『先祖たち』は忌まわしい偶像を造り、それを拝んでいました。ソロモンの代から偶像が造られていました。神の民の群れである国にこういった忌まわしい偶像が見られるというのは、とんでもないことです。ですから、敬虔なアサはその『偶像をことごとく取り除』きました。彼がそうしたのは正しく御心に適っていました。これまでの王たちはこんなことさえしないほど深い堕落に染まっていたのです。