聖書の学び

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Ⅰ列王記2:35~43(2023/07/13)

【2:35】
『王はエホヤダの子ベナヤを彼の代わりに軍団長とし、王は祭司ツァドクをエブヤタルの代わりとした。』
 こうしてソロモンは、空席となった『軍団長』の座にベナヤを充て、エブヤタルの代わりとしてツァドクを選びました。治世の初期には、こういった国家における主要人物の入れ替えがしばしば起こるものです。ヨアブは殺人罪を犯したので、このような悲惨に陥りました。もしヨアブが誰も殺していなければ、ずっと軍団長の座に就いていられたでしょう。エブヤタルはアドニヤ派となったので、この通り祭司職を取り上げられました。もし彼がソロモンに組していれば、ずっと祭司でいられたでしょう。私たちは、極悪の罪を犯したり御心でない者に組したりしないようにすべきです。つまり、私たちはヨアブやエブヤタルのようになるべきではありません。この2人のようにならないのが幸いであり安全なことだからです。

 

【2:36~38】
『王は人をやって、シムイを呼び寄せ、彼に言った。「自分のためにエルサレムに家を建てて、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。出て、キデロン川を渡ったら、あなたは必ず殺されることを覚悟しておきなさい。あなたの血はあなた自身の頭に帰するのだ。」シムイは王に言った。「よろしゅうごうざいます。しもべは、王さまのおっしゃるとおりにいたします。」このようにして、シムイは長い間エルサレムに住んだ。』
 ソロモンはかつてダビデを激しく呪ったあのシムイに対し、エルサレムから出ないのであればという条件付きで、エルサレムに住むことを許しました。もしシムイがエルサレムから出て『キデロン川を渡ったら』、シムイは殺されることになります。この川がシムイにとって死の境界線なのです。このように言われたシムイは『よろしゅうございます。』と言って応じます。こうしてシムイはエルサレムに住むこととなりました。その期間は『三年』(Ⅰ列王記2:39)という『長い間』でした。ところで先に見た通り、ソロモンはダビデからこのシムイを殺すように命じられていました。ですから、ソロモンはシムイを殺すべきでした。ところが、ここでソロモンはシムイをエルサレムで普通に生かさせています。どうしてソロモンはシムイを生かして殺そうとしなかったのでしょうか。ソロモンはシムイを殺そうとしなかったのでなく、実は殺そうとしていたのです。シムイが権威に対し反逆的な性向を多かれ少なかれ持っているということは、ソロモンの見抜いているところでした。ソロモンはこのような性向を殺すために利用したのです。つまり、ソロモンはシムイであればやがて禁令を破って自ら死ぬようになることを行なうであろう、と読んだわけです。実際、シムイはこれから本当に自ら禁令を破ることとなります。

 

【2:39~43】
『それから、三年たったころ、シムイのふたりの奴隷が、ガテの王マアカの子アキシュのところへ逃げた。シムイに、「あなたの奴隷たちが今、ガテにいる。」という知らせがあったので、シムイはすぐ、ろばに鞍をつけ、奴隷たちを捜しにガテのアキシュのところへ行った。シムイは行って、奴隷たちをガテから連れ戻して帰って来た。シムイがエルサレムからガテに行って帰って来たことは、ソロモンに告げられた。すると、王は人をやって、シムイを呼び出して言った。「私はあなたに、主にかけて誓わせ、『あなたが出て、どこかへ行ったなら、あなたは必ず殺されることをよく承知しておくように。』と言って警告しておいたではないか。すると、あなたは私に、『よろしゅうございます。従います。』と言った。それなのに、なぜ、主への誓いと、私があなたに命じた命令を守らなかったのか。」』
 シムイがエルサレムに住んでから『三年たったころ』、シムイは逃げた奴隷を追いかけたのでソロモンの禁令に違反することとなりました。やはりソロモンの思っていた通りになったのです。ダビデを呪った出来事からも分かる通り、シムイは一時の変化に大きく揺り動かされ、一時的な変化を永遠の変化だと思ってしまう、感情的な傾向が強い人物でした。つまり、シムイは目の前で起きた出来事に呑み込まれてしまう質だったのです。ですから、このように奴隷が逃げた際も、その出来事に揺り動かされ、ソロモンの禁令など気に留めることが出来なかったのです。こうしてシムイはソロモンに呼び出されて責められましたが、シムイは禁令を破れば死ぬということに同意していましたから、もう覚悟しなければいけませんでした。シムイはもう後悔しても駄目でした。この通り、シムイは自分の口により呪われ、自分の口により滅びました。このことから、『人の生はその舌に支配される。』という箴言の御言葉がどれだけ真実であるのかよく分かります。日本でよく言われる「口は禍の元」などという諺も聖書的なことなのです。