【3:1】
『ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来て、自分の家と主の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。』
ソロモンが王国を栄えさせるために用いた方法は「政略結婚」でした。それはこのような仕組みとなります。まず他国の王族の女性とソロモンが結婚します。すると、必然的にソロモンは結婚した女性の王族と深い関係を持つこととなります。深い関係を持つならば自然と協力したり援助するなどといった行為が生じます。そのようにして経済が発達することに繋がるのです。現代においても王室の世界や企業の世界を考えると、どうでしょうか。もし他の王室や他の企業と深い縁を持つならば、援助したり相互的な働きかけなどが容易く実現することでしょう。しかし、何の関係また交わりもなければ、どうしてこういったことが起こるでしょうか。ですから、婚姻という手段ほど王室や何らかの組織において益を齎す手法は無いと言って良いでしょう。それというのも、婚姻とは2人の者が一緒になることだからです。そうなれば自分の利益が相手の利益となり、また相手の利益も自分の利益となりますから、自然とその関係者たちも含めて容易く相互的な益を与え合う仲となるわけです。ソロモンは知恵のある王でしたから、このようなことがよく分かっていたのです。何故なら、「知恵」とは益である事柄を求め、見つけ出し、理解し、実行に移すことだからです。この「知恵」が無ければ、そもそも実行にまで至らないか、たとえ実行にまで至ってもやり方が悪いので上手く行かないことになるのです。
こういうわけで、ソロモンはエジプトの王パロの娘を妻として娶ったのです。それは『エジプトの王パロを互いに縁を結び』たかったからです。その娘を娶るということほど王と真に深い関係が築き上げられる手段はほとんど無いはずです。しかし、ソロモンは娶ったそのパロの娘を、『自分の家と主の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わる』までは、『ダビデの町』であるベツレヘムに留まらせておきました。その間中、ソロモンはエルサレムにいたはずです。つまり、ソロモンは建て終わるべき物が建て終わるまでは、パロの娘と一緒にいなかったわけです。これは為すべきことを為すまで、ソロモンが敬虔で清い状態を保ちたかったからなのかもしれません。何故なら、聖なる民の一人であるソロモンが汚れた異邦人と一緒になるならば、霊的に良くないことは明白だったからです。ソロモンがこれまでにも誰か妻を娶っていたかどうかは分かりません。このパロの娘が最初の妻では無かった可能性もあります。しかし、ソロモンがもう既に妻を娶っていた場合、このパロの娘が何人目の妻だったかは不明です。
このように異邦人の妻を持ったソロモンでしたが、これは実は御心に適わないことでした。後の箇所を見るとソロモンが異邦人と結婚したことについて問題とされています(Ⅰ列王記11章)。ソロモンはユダヤ人でしたから、ユダヤ人を娶るべきだったのです。このような点にソロモンの罪深さが現われています。ソロモンは神から類稀な英知を与えられていましたが、英知があるからといって罪深くないというわけではなかったのです。