【8:54】
『こうして、ソロモンは、この祈りと願いをことごとく主にささげ終わった。』
ここまでがソロモンの主に対する祈りでした。この祈りは普遍的な内容を持っており、本質的で重要な意味を持っています。それゆえ、この祈りは心に留めるに値します。『祈りと願い』とい言葉については説明済みです。
『彼はそれまで、ひざまずいて、両手を天に差し伸ばしていた主の祭壇の前から』
ソロモンは、宮の庭にある『主の祭壇の前』で祈りを捧げていました。ソロモンは主の御前で主に対して祈りを捧げていたからです。その祈りを捧げる際、ソロモンは『ひざまずいて』いました。これが民衆の前であれば、王であるソロモンがひざまずくということはあり得なかったでしょう。しかし、神の御前でソロモンは一人の僕に過ぎない存在でした。ですから、ソロモンは民衆の王であっても、神の御前で『ひざまず』くべきだったのです。またソロモンは祈る際、『両手を天に差し伸ばしてい』ました。これは神に御恵みを求めているのです。片手でなく『両手』を差し伸ばしていたのは、心の思いが強かったからです。しかし、差し伸ばしていた腕の角度や広がり具合については分かりません。私たちも、もし心の強き思いが自然とこのように自分を動かすのであれば、このようにしても問題ありません。しかしながら、偽善的になるぐらいであれば祈らないほうがかえってよいでしょう。
【8:54~55】
『立ち上がり、まっすぐ立って、イスラエルの全集団を大声で祝福して言った。』
それまで神の御前でひざまずいていたソロモンは、民衆を祝福するため『立ち上がり』ました。ソロモンは王ですから、民衆に対してはひざまずく必要がないのです。ソロモンがイスラエルの群れを『祝福』するのは、この時が記念すべき喜ばしい時だったからです。この時には祝福が相応しかったのです。例えば、日本がワールドカップで優勝したとすれば、日本人の多くは祝福の言葉を口にすることでしょう。この時にソロモンがイスラエルを祝福したのは、これと似ています。その祝福は『大声』にて語られました。大声で語られたのは、祝福の言葉を群れの全体によく伝えるためだったはずです。