聖書の学び

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Ⅰ列王記14:26(2024/03/23)

【14:26】
『主の宮の財宝、王宮の財宝を奪い取り、何もかも奪って、ソロモンが作った金の盾も全部奪い取った。』
 エジプトから攻めて来たシシャクは、神殿と王宮にあった『財宝』を奪い取りました。それは『何もかも』であって、パロは一つも残すことがありませんでした。これがユダに考えられないほど大きな損失を齎したことは間違いありません。またパロは『ソロモンが作った金の盾も全部奪い取』りました。この盾はユダにとり貴重な財宝だったはずです。ですから、それが全て奪い取られたユダは大きな悲しみまたはショックを受けたに違いありません。ユダはエジプトを追い払うことができませんでした。エジプトはユダを凌駕していたからです。この時のエジプトはユダより力があったのです。このような出来事はユダにとり大きな屈辱だったでしょうが、神がこのようにされたのです。神は、罪に陥ったユダをこのようにして罰されたわけです。律法では、もし罪を犯すならば悲惨な状態になると宣告されています。この時のユダは正にそのような状態となりました。もしユダが偶像崇拝の罪に陥っていなければ、このような悲惨も味わわなくて済んでいたことでしょう。これがダビデの時代であれば、決してこのようなことは起こりませんでした。何故なら、ダビデは神の御前で正しい歩みをしていたからです。つまり、ダビデ時代のイスラエルは何か奪い取られるべき理由を持っていませんでした。寧ろ、その頃のイスラエルは戦争に打ち勝って自分たちが敵から奪い取っていました。これは支配者であるダビデが正しい歩みをしていたので、国の全体が祝福されていたからです。

 

 この通り、ユダは罪のため惨めな状態となりました。罪を犯すならばこのような損失に苦しむこととなります。神が罪に対して報いられるのです。日本も罪深かったので、大きな損失に苦しむこととなりました。ですから、私たちはユダのような偶像崇拝の罪を犯さないようにせねばなりません。敬虔さと益は密接に繋がっています。神は敬虔な者に対し祝福を与え、不敬虔な者には呪いを注がれるからです。特にこういった偶像崇拝の罪は、もっとも益と損失に大きく関わる罪の一つです。