聖書の学び

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Ⅱ列王記6:32(2025/06/30)

【6:32】
『しかし、その使者がエリシャのところに着く前に、エリシャは長老たちに言った。「あの人殺しが、私の首をはねに人を遣わしたのをご存じですか。気をつけなさい。使者が来たら、戸をしめ、戸を押してもはいれないようにしなさい。そのうしろに、彼の主君の足音がするではありませんか。」』
 エリシャは『神の人』でしたから、神がイスラエル王のことについても知らせておられました。このため、王の遣わした使者がまだエリシャのもとに着く前に、エリシャは王が使者を遣わしたことを知っていました。エリシャがイスラエル王のもとに偵察者を遣わしていたため、事前に王の遣わした使者について知れたというのではありません。聖書にそのようなことは書かれていません。神がエリシャにイスラエル王のことを知らせておられたと考えるべきでしょう。エリシャはその使者について知っていましたから、長老たちに使者のことで注意するよう命じます。もしその使者がエリシャの家に着いても決して戸を開けないように、とエリシャは長老たちに指示します。何故なら、エリシャは王から処刑されるべき理由を何も持っていないからです。しかし、使者が家に入れば、エリシャは捕えられるため、処刑されることにもなるでしょう。そのようなことが起こるべきではありませんでした。

 

 ここでエリシャは、イスラエル王のことを『人殺し』と言っています。これはイスラエル王が既に心の中でエリシャを殺していたからです。それゆえ、まだエリシャを実際に殺していなくても、イスラエル王は人殺しだったのです。使徒ヨハネも『兄弟を憎む者は人殺しです。』と言いました。霊的に言えば、もし心の中で憎んでいるなら、実際には殺していなくても、既に人殺しと見做されるのです。何故なら、その憎しみの思いは、まだ殺人に至っていないだけの未熟な状態でしかない言わば「殺しの種」だからです。その種が生長し熟すると殺人に至るわけです。