【8:6~7】
『それから、祭司たちは主の契約の箱を、定めの場所、すなわち神殿の内堂である至聖所のケルビムの翼の下に運び入れた。ケルビムは箱の所の上に翼を広げた。ケルビムは箱とそのかつぎ棒とを上からおおった。』
聖なる儀式が行なわれると、祭司たちは箱をシオンからエルサレムまで運び入れました。この時に移動した距離は、そこまでなかったはずです。ソロモンたちはこの移動の際、どのようにしたでしょうか。箱を持ち運ぶ祭司たちの前に進んで行ったでしょうか。ちょうど王の前に進む僕や兵士たちのようにして。それとも箱の隊列の後を進んで行ったのでしょうか。こうだった可能性もあります。隊列の横に並んで進んだというのは考えにくい話です。何故なら、これは少し自然でないように感じられるからです。ソロモンたちが移動に付いて行かなかったというのはなかったでしょう。祭司たちは、この箱を『定めの場所、すなわち神殿の内堂である至聖所』に運び入れました。そここそ箱の置かれるべき場所だったのです。ほとんど全ての祭司たちにとって、至聖所に入るのは生涯でこの時だけだったでしょう。また再び至聖所に入れたのは大祭司だけだったはずです。至聖所には、先に見たケルビム像が、箱の運び込まれるより前からもう置かれていました。聖なる箱は、この『ケルビムの翼の下に』覆われるような形で運び込まれました。このようになるため、ケルビム像があらかじめ作られたのです。このようにして聖なる箱には守護性が付与されることとなりました。私たちは、このケルビム像が単なる像に過ぎなかったと考えないようにすべきでしょう。このケルビム像は、霊的な現実を示す意味があったはずです。つまり、至聖所には箱が守られるため、本当に本物のケルビムがいたはずです。しかしながら、ケルビムは御使いであって人間の目には見えませんから、そこにケルビムがいることを示すため、このようにケルビム像が置かれたのでしょう。このケルビム像が単なる置き物に過ぎなかったとは考えにくいのです。何故なら、神は実際的な御方であられるからです。このようにして箱は至聖所に置かれることとなりましたが、それは実に神聖な光景だったことでしょう。たとえこの場所を絵画で再現しようとしても、再現し切れないはずです。神の箱とその箱が置かれた至聖所を絵画で示すのは、限界を越えていると思えるのです。もうこの神殿はありませんから、二度とこの光景を見ることはできません。