聖書の学び

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Ⅰ列王記20:42(2024/08/20)

【20:42】
『彼は王に言った。「主はこう仰せられる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたから、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」』
 預言者預言者として神からの御言葉をアハブに告げ知らせています。『主はこう仰せられる。』とは、それが正しく神からの御言葉であることを示しています。つまり、この預言者から出た言葉ではないわけです。

 

 ここで神が『わたしが聖絶しようとした者』と言われたのは、ベン・ハダデを指します。神はベン・ハダデの聖絶を求められました。何故なら、アラム人たちはヤハウェを単なる山の神に過ぎないとしたからです。このような冒涜の侮辱は、聖絶に値しました。だからこそ、神はこのベン・ハダデおよびアラムをアハブの手に渡されたのです。ところが、アハブはこのようなベン・ハダデを殺して聖絶しませんでした。それどころかアハブは契約を結んでベン・ハダデが逃れるようにしました。つまり、アハブは御心と真逆のことをしました。アハブは実に大きな罪を犯したのです。アハブは致命的なことをしました。ですから、神はこのような罪を犯したアハブが罰されるようにされます。まず、アハブの命はベン・ハダデの命に代えて失われねばなりません。神の御心はベン・ハダデが死ぬことでした。アハブはその御心を全く妨げたのです。よって、アハブはベン・ハダデを死なせなかった代わりに死ななければなりません。また、それだけでなくアハブの民すなわちイスラエル国民も、ベン・ハダデの民の『代わり』として罰されねばなりません。アハブがベン・ハダデを逃がした際は、ベン・ハダデと共にいたアラム人たちも聖絶されませんでした。本来であれば王だけでなくアラム人の全てが聖絶されるべきだったのに、アハブは王以外の民をも聖絶することがありませんでした。このため、アラムの民に変わってイスラエルの民が罰せられねばなりませんでした。このようにしてアハブは自分が犯した致命的な罪に対する正当なる罰を受けることとなりました。忌まわしい罪を犯したので、こうなったのです。もしアハブが御心を行なっていれば、アハブは寧ろ祝福されていたことでしょう。