Ⅰ列王記9:7(2023/11/29)
【9:7】
『わたしが彼らに与えた地の面から、イスラエルを断ち、わたしがわたしの名のために聖別した宮を、わたしの前から投げ捨てよう。』
もしイスラエルが偶像崇拝の堕落に陥るなら、神はイスラエルを大いに罰されます。そのようにして神はイスラエルに報いられるのです。その報いにおいて、イスラエルは約束の地から追い出されてしまいます。イスラエルは神の民であるからこそ、約束の地を与えられたのです。神の民は当然ながら神の御前で正しく歩むべきです。しかし、神に背いて偶像崇拝を行なうならば、もはやイスラエルは約束の地で生きるのに相応しくありません。ですから、その場合、神はイスラエルを罰してその地から断たれてしまわれるのです。実際にイスラエルはこのような罰を受けました。しかし、そうなったのは酷い堕落に陥ったイスラエルの自業自得でした。もしイスラエルが正しく歩んでいれば、約束の地から断たれることもなかったのです。このように約束の地から断たれるのは、あまりにも恐ろしいことです。何故なら、そうなれば神から見放されることになるからです。そのようになったらイスラエルは絶望的な状態となります。ですから、神はこのように言われることで、イスラエルが偶像崇拝に陥らないよう威嚇しておられるのです。また神はイスラエルに対する報いとして、御自分のために建てられた宮を滅ぼしてしまわれます。これはイスラエルから神が離れ去られることを意味しています。何故なら、神はこの宮のところにおられましたが、その宮が滅ぼされるからです。神が御自分の宮を滅ぼされたとしても、愚かであることにはなりません。というのもイスラエルが堕落したのであれば、もうイスラエルのために宮を保ち続けるべき理由はなくなるからです。イスラエルが神に背き去ったにもかかわらず宮は保ち続けられるのであれば、それこそおかしいことになります。神は酷い背きに陥ったイスラエルを、このようにして思い知らされるのです。実際にこのようなことが起こりました。これも先の事柄と同じで非常に恐るべきことです。もし宮が消え去るぐらいならば、イスラエル人は1億回も死んだほうが遥かにましだったでしょう。イスラエル人は神とその宮を持っていることを非常な誇りとしていたからです。ですから、神はこのように言われることでもイスラエルを威嚇しておられるのです。このようなわけで、イスラエルはこれからどうすべきか選択を迫られていました。すなわち、神に従って祝福され続けるか、それとも神に背いて神から捨てられるのか、ということをです。