聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記11:33~34(2024/01/20)

【11:33】
『というのは、彼がわたしを捨て、シドン人の神アシュタロテや、モアブの神ケモシュや、アモン人の神ミルコムを拝み、彼の父ダビデのようには、彼は、わたしの見る目にかなうことを行なわず、わたしのおきてと定めを守らず、わたしの道を歩まなかったからである。』
 神がソロモンに報いられるのは、理由なくしてではありませんでした。ソロモンが酷く堕落したので、神はソロモンに相応しい報いを注がれるのです。神はこのように言われることで、御自分が正しいことをしておられると示しておられます。悪いのはただただソロモンでした。ここでソロモンは神『を捨て』たと書かれています。何故なら、ソロモンは神を裏切り、偽りの神々を求めたからです。彼は自分の意思で自発的にそうしました。ですから、ソロモンに弁解の余地は全くありませんでした。この箇所で書かれている3つの偽神どもは、もう既に前の箇所で見た通りです。先に書かれていた『モレク』(Ⅰ列王記11:7)は、ここで書かれていません。しかし、ここでは単に書かれていないだけであり、ソロモンはこのモレクをも拝んだことでしょう。また、ソロモンがここで書かれている3つの偽神ども以外の偽神をも拝んだことは間違いありません。ここでは偽りの神々が「3」つ示されていますから、偽りの神々を強調しているのでしょう。ダビデは死ぬ時までずっと神に従い続けました。ダビデが神を裏切ることはありませんでした。しかし、ソロモンは神を裏切りました。ここにダビデとソロモンの決定的な違いがあります。ここで『わたしの見る目にかなうことを行なわず』と言われているのは、つまり律法で示された神の御心をソロモンが行なわなかったということです。『わたしのおきてと定めを守らず』と言われているのは、ソロモンが『おきてと定め』である律法を守らなかったということです。『わたしの道を歩まなかった』と言われているのも、やはり律法の命令が示す道にソロモンは進まなかったということです。つまり、これら3つはどれもソロモンの律法に対する不服従を述べています。このように3回続けて言われているのは、ソロモンの不従順を強調して示すためだったはずです。

 

【11:34】
『しかし、わたしは、彼の手から、王国全部は取り上げない。わたしが選び、わたしの命令とおきてとを守ったわたしのしもべダビデに免じて、ソロモンが生きている間は、彼を君主としておこう。』
 神はここで2つのことを言っておられまず。まず一つ目は、ソロモンからイスラエルの全てが取り上げられないということです。先に見た通り、ソロモンの子孫には『一つの部族だけが残る』(Ⅰ列王記11:32)のです。こうしてソロモンの支配力は子孫においてかなり失われます。ソロモンの子孫は『一つの部族だけ』しか支配できませんから、その名誉と尊厳もかなり失われたことでしょう。二つ目は、ソロモンがその『生きている間』ずっと『君主』であり続け得るということです。神はダビデを選び重視しておられました。このダビデに神はソロモンがイスラエルの支配者になると言われ、実際にそうなりました。ですから、神はダビデのことを考慮され、ソロモンから王位を取り去ることまではなさいませんでした。